D進すること
この記事はTeamJ Advent Calendar 2019の22日目の記事です。
今回はちょっと真面目に「D進すること」について書こうと思います。(深夜テンションで書いてるので、あまり深く捉えなくてもいいです、というか僕個人の考えです)
僕は博士後期課程に進学(通称D進)し、日々研究して生活しているのですが、世間一般にはそもそも博士後期課程を知らない(現に親もそこまで詳しく知らない)ことが多いです。
それに伴って、割とD進についてネガティブな話題(ネタ)がTwitterなどで流れることも。。。
ネガティブな話題が出るのは仕方ありませんが、そのネタに対してリプライをする人たちが、"本当に己がD進して学位を取得した/取得しようともがいたが断念した"人なのか、疑問に思うことが僕自身多いです。
"死んでもいいから.../将来を捨ててもいいから...研究したい/研究を楽しみたい人が..."云々
これは勝手なイメージが膨らんだ妄想だと思っています。確かに研究がしたい、何かを突き詰めたいなどといった探究心・好奇心などがないと(学位を取得するという意味で)厳しい道であることは間違いないと思いますが、"将来を捨ててもいい"なんて思ってる人はいないのでは?と眉をひそめる時も。。。
これは僕の考えですが,博士号を取得する道は厳しいのは当たり前な話。だって、学位の中の最高学位を取得しようとしているのだから。それ相応の能力を求められ、学位取得後も(基本的に)高い能力を持つ人達とポジションを争うわけなので、当然難しい道。
もちろん、僕自身も将来について不安なこともありますが、自分が好きなことをやっていくのに必要な道/最善だと思った道なので、別に"将来を捨ててもいい"なんて思ってません。むしろ、将来自分が好きなことをやっていくための選択肢として"D進"があり、その道を選んでる訳です。
何か怒りに身を任せた感じの論調になってしまった気がしなくもないですが、要するに、D進するかしないか悩んだ時に"好奇心・探究心に身を委ねて"進む道を選んだ方がいいぞ!、と思っています。(基本的に就職の時も同じだとは思いますが...)
自分は"好奇心・探究心に身を委ねて"研究室も選び、D進するという選択をしたので、D進すること自体はネガティブなことではないぞ、と言いたいですね(しみじみと...)
まとまってるような...まとまってないような...
きっと、まとまってませんが、この辺で!